世田谷・三軒茶屋・下北沢        村田ピアノ教室 講師紹介

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プロフィール 

~ピアノ講師として指導歴30年~

世田谷区(三軒茶屋、下北沢地区)にて「村田ピアノ教室」主宰。

 

武蔵野音楽大学音楽学部ピアノ専修卒業。串戸悦子、的場喜美にピアノを師事。

 

在学中から指導をはじめ、結婚後、男子ふたりの小学校受験・幼稚園受験、子育てをしながら指導を続ける。うたをうたうようにピアノを弾ける力、人とのあたたかいつながり、コミュニケーションやマナーを大切にしたレッスンを行っている。

 

また2歳以上を対象にしたピアノde クボタメソッド 認定講師として、お子様の成長をサポートしています。

 


~音楽との出会いから現在まで~

 

【パンとコーヒーそしてクラッシック】

私が育って実家には、クラシック音楽ファンの父のレコードがたくさんあり、

週末には、いつもクラシック音楽が聞こえていました。

 

私の中の日曜日…

それは、焼きたてのトーストと入れたてのコーヒーの香り。

そこに、質の良いクラシック音楽の音色があわさって。

そんな中で目覚める幸せな日曜日の朝。

 

今でも焼きたてのトーストとコーヒーの香り、

そこに質の良いクラシック音楽が加わることで当時がよみがえります。

 

♪幼稚園で音楽教室に。

♪小学校1年よりピアノを習いはじめる。

 

 

【音楽の先生=「美しい」というイメージ】

小学校3年生の時に運命の出会いが!

小学校の音楽のK先生。美しくて品のある素敵な先生。

先生は武蔵野音大卒で、私が初めて「音楽の先生ってステキ!」と思った憧れのK先生。

 

同じ頃から

♪武蔵野音大付属音楽教室にも通いはじめる。

1週間の中でピアノのレッスンに通ったり、音楽教室に通ったりの子供時代。

 

その頃には大学受験という概念はなかったものの、こんな音楽の先生になりたい、私も武蔵野音大に入りたい!という思いが芽生え始めていたのはごく自然なことだったように思われます。

 

 

【スタインウェイとの出会い】

当時通っていたピアノの先生のお宅には、スタインウェイのセミコン(セミ・コンサート・ピアノ)があり、

芸大出身のいかにも芸術家という風貌の先生がお手本で弾いて下さる音は、まるくてあたたかな音色でした。

 

そこは、私にとって週に1度の特別な空間でした。

当時の私は、学芸会などのピアノや他の楽器のオーディションに積極的にチャレンジして、

6年生の時の学芸会「赤い蝋燭と人魚」でのピアノ伴奏が今でもとても思い出に残っています。

 

また音楽クラブではトロンボーンのパートで、

音楽教室での打楽器、副科のフルートなども経験し、

自然に多くの楽器に触れることのできた環境はとても恵まれていたと言えるでしょう。

 

 

【中学・高校時代の恩師 そして音大受験】

私が通っていた女子校は、音楽についてとても恵まれた環境でした。

というのも、音楽の先生はお二人とも芸大ご出身の先生。

声楽科ご出身の先生と作曲科ご出身の先生だったせいか、音楽の授業や校内音楽会なども充実していました。

 

毎年開催される校内音楽会のためのオーディションでは時に選ばれなかったこともありましたが、

そのことがまた次への意欲となり、すべての経験が今に繋がっていると思います。

 

♪高2で音大受験を決意。

 

平日でも2~3時間の練習となり、3年生になってから受験直前は7~8時間の練習に!

当時は「演奏が真面目すぎる」「表現が苦手」などの課題があり、なかなか自分の殻を破れないことに時に苦しみましたが、それまでにはない猛練習と熱心な先生方のご指導のお陰で、

晴れて武蔵野音楽大学ピアノ科にご縁を頂きました。

 

 

【武蔵野音大時代 ~表現の豊かさをもとめて】

目から鱗の出来事!

晴れて音大生となったものの、ピアノ演奏においては依然「真面目すぎる演奏」「表現が苦手」などの課題があったものの、

大学3年生の時、同級生や先輩の歌や楽器の伴奏を引き受けている中で、ある先輩の声楽のレッスンで素晴らしい先生に出会うことに。

 

先生はレッスン中、伴奏者である私の横で常に歌い、

ご自分の生徒だけでなく伴奏者の演奏も盛り立ててくださる先生でした。

そしてその先生は、歌の歌詞の単語一つ一つについて色をイメージさせる先生で、当時の私にはそんな風に歌詞を基に色をイメージして演奏の内容を豊かにする方法がとても新鮮でわかりやすく、これは歌詞のないピアノ曲でも可能なのではないかと、その声楽科の先生のレッスンをきっかけに、表現豊かに演奏する方向性を見いだすことができました。

 

このような自分自身の経験より、

ピアノの生徒さんたちには、「イメージすること」を大切にしながら

“気持ちをこめた演奏”

“豊かな表現での演奏”

“委縮しないおおらかな演奏”

などを導き出すレッスンを心がけております。

 

 

【教育実習 ~充実と落胆と】

大学2年の時、自宅で3、4人の生徒さんにピアノレッスンをしている中で、

「きちんと教職免許をとって、中学校の音楽の先生になりたい!」と思うようになりました。

 

♪大学4年生の春。夢にあふれて参加した教育実習。

 

毎日本当に大変ではあったものの、得ることが多く充実の日々。

ところが、ある日の休憩時間にある一人の先生が、私の教育担当の先生のことをとても悪く評価していた言葉を聞いてしまいました。当時の私には、教育者というのは尊敬に値する存在、憧れの存在だっただけに、

その若い先生の心もとない一言にショックを受けてしまいました。

 

実習最後の日に、授業の中で披露した演奏(ショパンのエチュード2曲)を評価して下さった

講師の先生からのお誘いで、月に1~2回吉祥寺にあった有名なフレンチレストランで定期的に

生演奏させていただくことになりました。

 

<教える・働くことに関して今でも私の原動力となっている言葉>

それは、この教育実習の最終日に頂いた担当の先生や校長先生からの講評の中のメッセージ。

以下、実習のノートより校長先生のメッセージ。

 

「はっきり指示をし、きちんとやらせるという点で貴女は教師としての基本的資質の備わっている人です。

実技教科は教え方も大切ですが、技能で生徒をひきつけられないとなりません。

その点でもよい教師となれる人です。その上、言動に誠実感があり服装にも清潔さを感じました。

よい教師になれる人は、よい企業人になれる人でなければならないと私は考えています。

どのような進路を選ぼうとたいへん期待のできる人です。活躍を楽しみにしています。」

 

その後の想定外の就職活動などにおいて、当時の私のことを認めて下さった

このメッセージにどれだけ励まされたことでしょう。

 

そして、現在ピアノ指導者として、頂いたこのメッセージに恥じないようにと時々思い出します。

指導するということに自信を持たせて下さった実習校に感謝です。

 

 

【一般企業へ就職】

教育実習中の若手教師からの一言によるショックから、とにかく一度一般企業へ就職しようと決意。

実習校で応援して下さった先生方には申し訳ないと思うも、急きょ就活を開始。

 

♪機械系の商事会社に入社。

約6年間務めた間も、ピアノから常に離れないようにと

週末はピアノを教えるとともに、レストランでの生演奏を続けていく中で、

やはりきちんとピアノ教室を開きたいという意志が強くなり、退職。

 

♪1999年 結婚。現在の世田谷に。

♪2000年、長男を出産。

♪2003年、次男を出産。

ピアノ教室と子育てとを切り盛りするように。

 

 

【息子たちの受験を通して】

私自身が姉妹として育ったため、男の子を育てるにあたり?がいっぱいの日々。

天使の日もあれば、悪魔に思える日も!(笑)

 

長男が幼稚園年長になる頃、私立小学校受験をさせようと決め、

幼児教室へ入塾し、私は世でいう“お受験ママ”に。

その時に通わせて頂いた幼児教室の室長先生の子供たちを引き付ける姿に、

我が子の様子もさることながら釘付けに。

 

その室長先生の子供たちを飽きさせない緩急のある授業。

子供たちを注目させるお話の仕方。

褒める時は褒める、叱るときは叱るのメリハリ。

そして何よりもテンポの良い授業は、

現在の私のレッスンにも影響を与えて頂きました。

 

もちろん、私自身も息子の受験のために全力で臨み、この小学校受験、そして次男の幼稚園受験を通しての経験は、その後のピアノ教室での指導に大いに役立ち、

現在お教室では、ピアノのレッスン以外にも知育教育のオプションも選択可能。

 

 

【母たちとの別れ】

2010年の秋。母が出先で倒れ帰らぬ人となりました。本当にある日突然のことでした。

子育てにピアノにと常に応援していてくれていた最愛の母の死から、果たして私は立ち直れるのだろうか…

そんな中でもピアノのお教室の現場に入る時には、自然にしっかりスイッチが入るもので本当にありがたかったです。生徒さんたちに感謝!

 

2013年に夫が海外単身赴任となり、息子たちとの3人生活に当初は悩むことも多かった中、

夫の母の存在は有り難く、私が困っている時には色々とサポートしてくれました。結婚当初より実の娘のように私のことを可愛がってくれていた義母。その義母の病が進行し、2015年秋に他界。亡くなる前の半年ほどは家族で介護する日々でした。いつかお別れしなくてはならないとわかっていた義母との時間は、レッスンと子育てで忙しい日々の中でも急逝した実の母にはしてあげられなかった多くのことをさせて頂けて、今は宝物の時間を授けてもらえたと思っております。

 

最愛の人たちを看取った経験は、それまで以上に人と接する喜びを実感させてくれるものとなり、

私を信頼して通ってくださっている生徒さんと保護者の皆さまに感謝。

 

 

【息子たちと行くようになった山】

2013年の夫の単身赴任から始まった、年頃の息子たちとの3人生活。父親不在の中、さて、どうやって2人を育てよう?

成長したといっても、上が中学1年生、下がまだ小学校4年生。まだまだ、お友達とどうぞご自由にというには早く、家族でのコミュニケーションが必要な時期。特に長い休みの過ごし方に頭を悩ませて…

 

<いろいろ考えた結果スタートした登山>

当時上の子が中学1年生。下の子はまだ小学生中学年。そして私という3人が一緒にできることを考えた中、ハイキングや登山が思い浮かんだのでした。

 

陣馬山~高尾山の縦走

陣馬山に行ってみようと早朝から登り始めると予想以上に早く頂上についてしまい、長男の希望で、陣馬頂上から高尾山頂上を目指して行けるところまで行ってみようということに。途中「足が痛い。もう帰りたい」といい始めた当時まだ小4の次男を励まし、最後には高尾山頂上に到着。3人で縦走しきった時の達成感と感動は今でも忘れられません。

 

御嶽山~大岳山(長男:中2、次男:小5)

ほかにも

日本百名山である山梨の金峰山では…

森林限界も超え大きな大きな岩だらけの頂上付近で、当時中3の長男に私が高い岩の上に引き上げてもらった時には成長をしみじみ実感し、また夫不在であったことが、かえって息子たちを逞しくしてくれたのはと思うのです。

そんな子供たちの成長とともに、私も母の死から徐々に立ち直りはじめたころ・・・

 

 

【ピアノ教室】

3教室での合同発表会を1年~1年半毎に開催することになりました。

そして2018年3月には、第15回の記念発表会を無事に開催することができました。

 

<男の子のレッスン得意です!>

偶然でしょうか。お教室には男の子の割合が多く…

『さすが、息子さん二人お育てになって!』と言われることもあり、そんな時には日頃は大変なことがあっても2人の息子たちに感謝。

やんちゃな坊ちゃん、落ち着きのない坊ちゃんも含め、どんな男の子とのレッスンも楽しくさせて頂いているのは息子たちの子育て経験の影響が大きいのではと感じるこの頃です。

 

<女の子のレッスンももちろん!>

一方、初対面の方によく『お子さんは、娘さんがいるでしょう?』と言われることもしばしばで…

学生時代からお嬢さん方のレッスンを続けてきたことから?

やはりどんな女の子とも、楽しくレッスンさせて頂けております。

大学時代にピアノを教えはじめた頃には、ピアノそのものは教えていたけれど、小さな子供さんとのコミュニケートもおぼつかなかったかもしれず、その子自身を伸ばしてあげなくてはという考えは残念ながら無かったかもしれません。

しかし、あれから30年近くが経ちまして私も多くの経験をさせて頂きましたので、今はどんな生徒さんが来ても大丈夫!!(発達障害のお子さんもご相談ください。)

これまでの一人として同じ生徒さんはいないレッスン経験、そして2人の息子たちの子育て経験を通し、どのようなお子さんにも、その子その子の個性を大切にしながら今日も楽しく、そして必要に応じて時に厳しくレッスンをしています。

お教室では、楽しくレッスンをすることをモットーにしながら

 

★想像力

★歌う心

★忍耐力

★持続力

★自分で考える力 などを鍛えます。

そして、一対一でのレッスンを通して

★ご挨拶、言葉遣いをはじめとしたマナー

★大人との正しいコミュニケーション力

★親御様とは違う立場の大人としてピアノ以外のアドバイスもできる 

など成長のお手伝いをさせて頂いています♪